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不倫や二股は当たり前?瀬戸内寂聴の壮絶過ぎる若い頃とは?

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瀬戸内寂聴さんが6月13日放送の『スッキリ』(日本テレビ系)で美人秘書・瀬尾まなほさんの意外な一面を明かしました。

そんな瀬戸内寂聴さんは壮絶な人生を歩まれているようで、若い頃を調べてみました。

瀬戸内寂聴プロフィール

  • 生年月日:1922年5月15日(96歳)
  • 出身地:徳島県徳島市
  • 職業:小説家、天台宗の尼僧

瀬戸内寂聴略歴

東京女子大学在学中の1943年に21歳で見合い結婚し翌年に女の子を出産、その後夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、夫の教え子と不倫し、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説「ピグマリオンの恋」を福田恆存に送る。

1950年に正式な離婚をし(長女とは後年出家後に和解したという)、東京へ行き本格的に小説家を目指し、三谷晴美のペンネームで少女小説を投稿し『少女世界』誌に掲載され、三谷佐知子のペンネームで『ひまわり』誌の懸賞小説に入選。また丹羽文雄を訪ねて同人誌『文学者』に参加、解散後は『Z』に参加。

1956年、処女作「痛い靴」を『文学者』に発表、同年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞。その受賞第1作『花芯』で、ポルノ小説であるとの批判にさらされ、批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られる。

1959年から同人誌『無名誌』に『田村俊子』の連載を開始。並行して『東京新聞』に初の長編小説『女の海』を連載。この時期の不倫(三角関係)の恋愛体験を描いた『夏の終り』で1963年の女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立する。

1988年に出した『寂聴 般若心経』は1年で43万部を売るベストセラーとなる。1992年、一遍上人を描いた『花に問え』で谷崎潤一郎賞を受賞した。

2008年には、いわゆる「ケータイ小説」のジャンルにも進出。

2010年に脊椎を圧迫骨折し、以後3年間寝たきりの生活を余儀なくされる。治療中の検査で胆嚢癌が発見されたが、医師からは90歳を過ぎて手術をする人はいないと言われたものの、瀬戸内は「すぐに取ってください」とその場で決断、手術は成功。その後復帰。2015年11月4日には、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演。入院中には激痛に耐えかね、「もう神も仏もない」と語った逸話が明かされた。番組では、がんは完治、痛みも全くなく酒を飲んでいると語った

修道女を志すも、乳児を残して男性と逐電した過去の行状から、教会から拒否されたと言う。出家を志して、多くの寺院にあたるも拒否されていたが、1973年に今春聴(今東光)大僧正を師僧として中尊寺にて天台宗で得度、法名を寂聴とする(戸籍上の氏名は、1987年に天台寺住職となった際に瀬戸内寂聴に改名)。

翌年、比叡山で60日間の行を経て、京都嵯峨野で寂庵と名付けた庵に居す。尼僧としての活動も熱心で、週末には青空説法(天台寺説法)として、法話を行っていた。

ただし通常の出家のような禁忌生活ではなく、出家後も男性と付き合い、化粧をし、酒を飲み、高級霜降り肉もたくさん食べていると自ら認めている。

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E5%AF%82%E8%81%B4

瀬戸内寂聴の元気の秘訣とは?

現在96歳の瀬戸内寂聴さんは、66歳下の瀬尾まなほさんと行動をともにすることが多いです。インスタグラムなどにも親しみ、生活について「変わった」と笑顔です。

さらに、「着る物ひとつでも違うでしょ」と切り出し、「一番下に履くパンティーを、私(寂聴)が履いているようなものと違う、って言って見せてくれるんです」と語ります。しかも「花柄のハンカチみたいなの」と下着の雰囲気まで明かしていました。

その話に司会のハリセンボン・近藤春菜さんは、「まさか秘書の方も今、パンティーの話されるとは思ってなかったでしょうね」と笑いを誘っていました。

2017年12月21日放送の『ゴロウ・デラックス』(TBS系)で、瀬戸内寂聴さんは、瀬尾まなほさんが働くようになったのは、祇園の知人の紹介だったと説明しました。瀬戸内寂聴さんが小説家であることも知らなかったようですが、「文学少女は使い物にならない」と彼女を起用しました。

しかし、2013年に、当時のスタッフが瀬尾まなほさんを残して全員退職してしまったといいます。それは、瀬戸内寂聴さんがスタッフを養うために働かなければならない状況だったためで、ベテランスタッフが「これ以上働かせるのは辛い」と涙ながらに言ってくれたといいます。

一人残った瀬尾まなほさんは献身的に世話を続けました。文才を瀬戸内寂聴さんに認められ、昨年は初の著書『おちゃめに100歳!寂聴さん』(光文社)を上梓しました。

昨年11月15日の『瀬戸内寂聴・瀬尾まなほ特別講演会』で瀬尾まなほさんは「いやなことを周りの人から言われたこともあったんですが、それでも先生が好きだし、先生といると楽しいし、すごく優しい。いつも “自分はここにいてていいんだ” と思わせてくれる場所なんですね」と感謝を語っていました。

参考:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180617-00010007-flash-peo

そんな瀬戸内寂聴さん、若い頃は壮絶な人生を歩んでこられています。

瀬戸内寂聴の若い頃とは?

瀬戸内寂聴さんは、父である三谷豊吉さん、母であるコハルさんの次女として生まれました。ご両親は、徳島県徳島市中州町の仏壇店(瀬戸内商店)を営んでいました。

瀬戸内寂聴は幼いころ、身体が弱く、本を読むのが好きな子供でした。瀬戸内寂聴さんは1943年、東京女子大学に在籍中の21歳で見合い結婚をします。そして翌年、女児を出産しています。

瀬戸内寂聴さんの旦那さんは、中国古代音楽史を研究する学者で、瀬戸内寂聴さんと結婚後、夫婦で中国の北京へと渡っています。そして中国で瀬戸内寂聴さんは女児を出産しました。

瀬戸内寂聴の一人目の不倫相手

第二次世界大戦後、瀬戸内寂聴さんは旦那さんと娘さんと共に命からがら中国から日本に帰ってきますが、その後、夫の教え子(21)と不倫してしまします。その時、瀬戸内寂聴さんは24歳でした。年下の青年との密会に罪悪感を持ち、旦那さんに二人の関係を告白してしまいます。ご自身で抱えきれなくなったのでしょう。

もちろん旦那さんは激昂し、瀬戸内寂聴さんと娘さんを連れて引っ越し、上京します。

旦那と娘を捨てて京都へ

無理矢理引き離された瀬戸内寂聴さんの恋はむしろ燃え上がってしまうのです。

その当時では珍しく旦那さんと娘さんを捨てて、身一つで年下青年の元へ戻ってしまうのです。かなり思い切りましたね。娘さんはその当時わずか3歳でした。

しかし、21歳の青年には旦那さんと娘さんを捨てた瀬戸内寂聴さんは重すぎたのでしょう。瀬戸内寂聴さん、年下の生年に捨てられてしまいます。

瀬戸内寂聴の二人目の不倫相手

一人になった瀬戸内寂聴さんは自立を目指し出版社に就職します。今度は、そこで出会った小説家・小杉慎吾氏と恋に落ちてしまいます。

そんな時に、お別れした青年が12年ぶりに瀬戸内寂聴さんに会いにきたのです。昔とは違い生気のない青年を見て、瀬戸内寂聴さんは放っておくことが出来ず再び関係がスタートしてしまうのです。簡単に言うと、二股っていうことですね。

しかし瀬戸内寂聴さんはそんな関係に疲れ、51歳で出家するという流れになりますが、二股をかけては良心の呵責に耐えかねて逃げるという恋愛を繰り返しているのかもしれませんね。そんな瀬戸内寂聴さん、現在は娘さんとはどのような関係なのでしょうか?

瀬戸内寂聴と娘の関係

そんな瀬戸内寂聴さんと娘さんの現在の関係はどうなっているのでしょか?

昔は自由奔放に恋愛をしていた瀬戸内寂聴さんですが、若い頃の所業を悔いたのか51歳で出家しています。若い頃の自分を振り返る中で、一生の後悔は娘を捨ててきてしまったことだったようで、娘との復縁を願っています。

瀬戸内寂聴さんが言うには、なぜ娘を残してきてしまったかという理由は、瀬戸内寂聴さんが若い頃は娘を連れてくるには、現在のように仕事があるわけでもなく経済的に不可能であったために娘さんを旦那さんの元に残してきたと語っていますが、残されてしまった娘さんとしては、母親に捨てられた娘として長い間世間から白い目で見られ相当に辛い思いをしてきたらしく、よりを戻して欲しいと言われても、すぐには難しかったようです。当然ですよね、そんな簡単なことではないですよね。

瀬戸内寂聴さんの座右の銘は「生きる事は愛する事」ですから、その情熱を昔は不倫相手に、出家してからは信者さんと娘さんに向けてのでしょうか?

現在、娘さんとの関係は修復されているようですが、やはり後ろめたさも残っているのか関係は少しぎこちないようですね。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

瀬戸内寂聴さんの若い頃について調べてみました。昼ドラも真っ青なくらいのドロドロの恋愛をされてきたようですね。しかし、その恋愛をもとに小説を書かれているので、それはそれでいい経験になっているようですね。

まだまだお元気な瀬戸内寂聴さん。今後の活躍に注目です。

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