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ビック発言だけではなかった?田原俊彦が事務所を独立した理由とは?

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タレントの田原俊彦(56)さんが9日、TBS系「爆報!THE フライデー」(金曜・後7時)で、演歌歌手・五木ひろし(69)さんとの“兄弟愛”を語りました。

そんな田原俊彦さんがジャニーズ事務所を独立した理由を調べてみました。

田原俊彦プロフィール

  • 生年月日:1961年2月28日(56歳)
  • 出身地:神奈川県横須賀市
  • 血液型:B型
  • 身長:175cm
  • 職業:歌手、俳優、タレント
  • 所属事務所:フォーミュラエンタテインメント

田原俊彦略歴

幼い時に父を亡くして、田原自身を含む4人の子供を抱えた母子家庭の生活は貧しく、また芸能界に対する強い憧れもあって、貧しい生活から早く抜け出して一家を楽にさせるには芸能人になって成功する以外に道はないと中学時代から決意していた。高校に入学した1976年5月、ジャニーズ事務所に履歴書を送ったが、返事が来なかったため、同年8月、事前連絡もせずに東京の事務所を直接訪問。事務所のスタッフからジャニー喜多川社長の居場所を教えられて日劇へ行き、ジャニー本人と直談判の末に入門を認められる。高校時代は事務所のレッスンのため週末ごとに甲府市と東京の間を電車で往復する生活を続けた後、1979年3月1日、高校卒業と同時に正式に上京した。母は当初、息子の芸能界入りに反対していたが、息子が正式に上京する時には、「やっぱり芸能界は無理だった、なんて言って逃げて帰って来るんじゃないよ」と言って送り出したという

学園ドラマ『3年B組金八先生』に中学生役で出演が決まった時、共演の近藤真彦と野村義男は実際に中学生(当時15歳)であったが、田原はすでに18歳(放送中に誕生日を迎え19歳)で高校を卒業していたため、事務所側の意向もあり、1歳若く年齢を詐称。その年齢との辻褄を合わせるために、公式のプロフィールも「高校を2年一杯で中退」に変更しなければならなかった。この件については、後に歌番組の中で謝罪している。なお、『金八先生』で共演した近藤と野村とは、共に「たのきんトリオ」の愛称で人気を博することになった。『金八先生』に出演していた当時の田原の人気は凄まじく、全国から送られてくるファンレターの数が最高で月18万通にも達したという。

1980年6月、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『New York City Nights』をカバーした『哀愁でいと』で歌手デビュー、1980年代のトップアイドルとして活躍する。ダンスのうまさも手伝い、日本におけるダンスビートにのせて踊りながら歌うポップスの男性アイドルとしての存在を明確にした。第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞。その後も『教師びんびん物語』など、多くのドラマに主演するなど、俳優としても活躍した。

1982年、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップ。

1994年3月1日、個人事務所「DOUBLE “T” PROJECT」を設立し、ジャニーズ事務所から独立。ただし、この独立はジャニーズ事務所側の反対を押し切って実行されたものと言われ、独立後はジャニーズ事務所の後輩たちとの共演は、ほぼ存在しなくなり、タレントとしても長らく不遇な時期が長く続いたが、それでも古くからのファン達に支えられて毎年コンサートツアーやディナーショーを全国各地で行い、地道な努力を辛抱強く積み重ねて再びマスコミの注目を集めるようになった。現在は司会者としても活躍しながら、古くからのファンだけでなく多くの若年層のファンをも獲得している。なお、田原本人は過去の独立問題と何ら関係なく、人生最大の恩人としてジャニーに対する敬意と感謝の気持ちを今も変わらず持ち続けている旨を自伝『職業=田原俊彦』の中で語っている。

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8E%9F%E4%BF%8A%E5%BD%A6

田原俊彦のビッグ発言の真相

田原俊彦さんが、2011年10月21日に爆笑問題が司会を務めるTBSの新番組『爆報!THE フライデー』に出演し、当時の「ビッグ発言の真相」について、VTRを挟みながら検証していきました。

「ビッグ発言」騒動とは1994年、田原俊彦さんがご自身の長女出産後の記者会見で発した「何事(結婚も出産も)も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになってしまうとそうはいきません」などの”生意気な発言”が世間のひんしゅくを買い、テレビから干されてしまったというものです。

これに対して、同番組ではビッグ発言を生んだ記者会見の未公開部分を放送しながら、問題発言はマスコミによって意図的に編集されたものであり、実際の会見では記者たちとの比較的和やかな会話の中で発言が生まれていたという点を強調しました。つまり、「田原が干されたのは、マスコミの陰謀だった」ということを訴えたのでした。

確かに、ワイドショーを始め、芸能マスコミが意図的に田原俊彦さんの言葉を編集していた事実はあったのかもしれません。しかし、田原俊彦さんが干された原因が、ビッグ発言だけでないことは、おそらくマスコミも周知の事実です。その引き金は、田原俊彦さんがジャニーズ事務所から独立したことにあるのは間違いないでしょう。

田原俊彦が芸能界から干された理由

1993年、田原俊彦さんはジャニーズ事務所からの独立を画策しました。それを察知したジャニーズ事務所は、田原俊彦さんの全国コンサートツアーを中止させています。それまではジャニーズ事務所に守られていたものの、独立問題を抱え、”ノーガード”になった田原俊彦さんに対して、マスコミの論調も厳しくなっていました。

そして、1994年の長女出産会見を迎えるのです。多少でも生意気な発言をすれば、一斉にバッシングに入る下地はできていたといことです。

独立後の田原俊彦さんには、エイベックス移籍もウワサされましたが、当時のエイベックス関係者は「田原は欲しいけど、メリー喜多川(ジャニーズ事務所副社長)さんを怒らせたくない」と、暗にジャニーズ事務所サイドから圧力があったことを認めています。テレビ局ほか、各メディアも同様でした。ジャニーズ事務所を独立した”腫れ物”である田原俊彦さんには触れたくなかったのです。

例えビッグ発言がなくても、田原俊彦さんはジャニーズ事務所から独立したことで芸能界から干されていました。田原俊彦さんは番組で「僕はマスコミ嫌い」とか「僕らは打たれっぱなし」とマスコミ批判をしていましが、そもそも、その原因を作ったのは田原俊彦さんご本人でした。

参考:https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20111027/Cyzo_201110_post_8917.html

田原俊彦がジャニーズ事務所を独立した理由

デビュー前、田原俊彦さんは新宿2丁目のウリ専バーで働いていたという情報がまことしやかに流れていた時期があります。ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏がホモというウワサがあったため、その情報には信ぴょう性があったようです。

デビュー後の1989年には、合宿所で撮られたとされる田原俊彦さんの全裸写真が流出したことで、さらに疑惑は膨らんでいきました。さらに、その反動だったのでしょうか、田原俊彦さんはファンの女性に手をつけまくったのでした。その手口というのは、まさにビッグになった立場を利用してのものだったのです。

当時の田原俊彦さんには、フジテレビのディレクターや大手広告代理店の社員を女衒(ぜげん)扱いしていたという情報がつきまとっていました。番組の収録に遊びに来るファンで、気に入った女の子の目をつけては彼らに口説かせ、一夜を共にしていたようです。ディレクターも代理店マンもそれを断れば、仕事がもらえないという噂でした。

また、1991年には田原俊彦さんが中山美穂さんは事務所に極秘でお付き合いをされていたと言われており、事務所に内緒でハワイ旅行に行ってしまったことが、ジャニー喜多川さんを激怒させたとも言われています。当時はお二人とも人気絶頂時で、恋愛もご法度の時代でした。そんなジャニーズ事務所との折り合いがだんだん悪くなってきたのでしょう。

そんな田原俊彦さんに対して、ジャニーズ事務所の力を怖れない一部のメディアはアイドルの実態を暴き続けてきました。田原俊彦さんが、それでマスコミ嫌いになったというのは想像できます。その後、ジャニーズ事務所に従順な御用マスコミも、田原俊彦さんがジャニーズ事務所に反旗を翻すや田原俊彦さんの傲慢さに食らいついて報道し続けました。

当時よりメリー喜多川氏の「ジャニーズから独立したタレントは許さない」という姿勢は変わりませんでした。ここ数年も、田原俊彦さんは再ブレーク間近といわれながらも、メジャーな舞台での活動が制限され、ブレークしきれていないのも事実です。そんな田原俊彦さんが、11年ぶりにメジャーレーベルから新曲をリリースしました。その背景には“SMAP解散効果”があったのかもしれません。SMAP解散騒動で、ジャニーズは売れっ子タレントに対しても、容赦なく“恐怖政治”で支配する事務所だという印象を与えました。そのダーティーなイメージを払拭するために、今回、ユニバーサルからのリリースを黙認したと思われます。

また、田原俊彦さんは

「この世界で頑張ってるのはジャニーさんのおかげだと思っています。感謝しています。今の僕があるのはジャニー喜多川さんのおかげだと思う。恩人?ジャニーさん」

と恩人であるジャニー喜多川氏への感謝の思いを口にしています。

そしてもう一人、そんな不遇な時期でもずっと田原俊彦さんを支えてきたのはなんとあの五木ひろしさんでした。

田原俊彦と五木ひろしの兄弟愛

田原俊彦さんは新人時代、かつてフジテレビ系で放送されていた「夜のヒットスタジオ」に出演した際、出演者は五木ひろしさんの楽屋へあいさつに行くのが慣例だったのにもかかわらず、あいさつもせず、イタズラをして立ち去ったといいます。さらに別の音楽番組で田原俊彦さんは、五木ひろしさんが生放送出演前で緊張している時に、突然お尻を触ってキスをして逃走したこともあったそうです。

極めつけはNHKの歌番組リハーサルでのことでした。五木ひろしさんが歌い切ると、田原俊彦さんは当時五木ひろしさんのライバルだった森進一さんの名前を挙げて「よっ、森さん最高だね」とちゃかしたのでした。

この一件では五木ひろしさんいつ怒り出すか関係者も冷や冷やだったそうですが、五木ひろしさんは「こいつ、本当はすごくいいやつなんです。どうか勘弁してやってください」と逆に田原俊彦さんのことをかばったそうです。なんと、心の広い五木ひろしさんなのでしょう。

この日、ゲスト出演した五木ひろしさんは当時の田原俊彦さんのことを「かわいいんですよ」と懐かしがり、田原俊彦さんも歌番組の収録でいつも顔を合わせる五木ひろしさんのことを「いつの間にか『お兄ちゃんだな』と(思うようになった)」ことを明かしてました。

そんな田原俊彦さんが1994年の長女誕生の会見で「何事も隠密にやりたかったけど、これだけビッグになっちゃうと(取材拒否は)無理かな」とジョークを飛ばした“ビッグ発言”で窮地に立たされた時のこと、「大騒ぎさせて大変だった時。みんな静かにしている中、五木さんだけ長女が生まれた時に赤ちゃん一式セットを全部刺しゅう入りで贈ってくれた」というエピソードが紹介されました。五木ひろしさんは「心配かける弟だったんですよ」と当時のことを語っていました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

田原俊彦さんがジャニーズ事務所を独立した理由を調べてみました。様々な要因が重なってジャニーズ事務所を独立することになったのですね。そんな厳しい時期に、演歌歌手の大物である五木ひろしさんが変わらず田原俊彦さんを可愛がっていたのには驚きました。

最近の田原俊彦さんは、ビック発言や独立も、吹っ切れた感じのトークでバラエティー番組にも出演されています。今後の田原俊彦さんの活躍に注目ですね。

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