がん闘病を公表していた元レスリング選手の山本KID徳郁さん(41)が、18日に死去しました。この日、山本KID徳郁さんが主宰する「KRAZY BEE」の公式ツイッターで報告されました。
そんな山本KID徳郁さんは、病名は何ガンだったのでしょうか?
山本KID徳郁プロフィール
- 本名:岡部 徳郁(おかべ のりふみ)(旧姓:山本)
- 生年月日:1977年3月15日
- 没年月日:2018年9月18日(41歳没)
- 出身地:神奈川県川崎市
- 血液型:B型
- 身長:163cm
- 所属事務所:KRAZY BEE
- 階級:フェザー級、バンダム級
山本KID徳郁略歴
幼い頃よりレスリング(フリースタイル)で活動。 高校時代は単身でアメリカにレスリング修行、アリゾナ州の王者に3度輝いた。 大学では日本に帰国、全日本学生レスリング選手権大会優勝(フリースタイル58kg級)など数多くの実績を残した。シドニーオリンピック出場を目指していたが、1999年の全日本レスリング選手権大会(同級)で惜しくも準優勝。
オリンピック出場への道が絶望的になったのと同時期に姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して総合格闘技に転向。姉から総合格闘技のビデオを見せられたのがきっかけになったという。2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級(-65kg)で優勝。翌2001年にプロデビューし修斗で世界ライト級ランク2位まで登り詰めた。
2002年9月16日、プロフェッショナル修斗公式戦で勝田哲夫と対戦。試合前に勝田がKIDに対して「彼はレスリングの実績があるけど、総合におけるレスリングってものを俺が教えてあげますよ」と挑発したことに対してKIDは不快感を露にしていた。試合ではKIDがパウンドの連打で勝田をKOしたが、レフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視して舌を出して笑顔で勝田を殴り続けたため120日間のライセンス停止処分を受けた。
2003年12月14日、修斗世界ライト級(-65kg)チャンピオンシップで王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラに挑戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した。
2004年8月にモデルのMALIAと結婚し、2005年1月には男児、2006年11月には女児をもうけるも、2009年8月に離婚。子供はMALIAが引き取った。同年、自身がプロデュースを手掛けるブランドHARDHITを立ち上げる。
2008年から大田区馬込に自身でスポーツジムYSA(ヤマモトスポーツアカデミー)、KRAZY BEEを経営している。
2012年5月24日、Twitterを開始したことをブログにて発表。
2014年7月に品川区大井町に、自身がプロデュースするカレー屋「Curry Shower」をオープン。同年11月に、一般人の婚約者との間に女児をもうけたことをTwitterで発表。
2017年7月に沖縄県糸満市に自身が主催するKRAZY BEE糸満を、11月に埼玉県越谷市にKRAZYBEE越谷を創設。
2018年8月26日、自身のInstagramにてがんの闘病中であることを公表した。がんの種類は明かしていない。
2018年9月18日 所属ジムの公式ツイッターにより同日、41歳で死去したことが発表された。(詳細については明かされていない)
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%BE%B3%E9%83%81
山本KID徳郁がガンで死去
「山本KID徳郁を応援して下さった皆様」とし、「山本KID徳郁(享年41歳6ヶ月)が、本日9月18日に逝去致しました。生前に応援、ご支援をして頂きました関係各位、ファンの皆様に本人に変わり御礼申しげます」と発表。「尚、山本家、家族、友人への取材等はご遠慮頂き、ご配慮頂けますようお願い申し上げます」としました。
山本KID徳郁さんは8月26日、ご自身のインスタグラムで「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています」とがん闘病中であることを公表しました。がんの種類など詳細は明かしませんでしたが「絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」と誓っていました。
1972年ミュンヘン五輪代表の山本郁栄氏を父に持ち、姉・美憂と妹・聖子は世界女王のレスリング一家に育った。桐蔭学園高を中退して米国にレスリング修業。アリゾナ州王者に輝くなど実績を残して帰国すると、山梨学院大時代には全日本学生選手権大会を制しました。
2000年シドニー五輪出場を目指していましたが、果たせず01年に修斗でプロデビュー。立ち技格闘技のK―1、総合のHERO’S、DREAMで活躍しました。妹・聖子は大リーグのダルビッシュ有と結婚しました。
ミュンヘン五輪に出場した父を「神」と見立て、自身を「神の子」と称していました。
私生活では04年8月にモデルのMALIAさんと結婚し、翌年1月には男児、06年11月には女児をもうけましたが、09年8月に離婚しています。
14年11月に一般女性との間に女児をもうけたことを発表していました。格闘技では15年大みそかに現役復帰した魔裟斗と対戦し、判定負けして以来試合を行っていませんでした。
参考:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180918-00000071-sph-fight
山本KID徳郁の病名は何ガンだった?
2018年8月中旬に、グアムのレストランで撮られた山本KID徳郁さんの一枚の写真です。
そこに写っていたのはガンあると公表し、病気と戦っていた山本KID徳郁さんのやせ細った姿でした。歩くのもままならなかったのでしょう、車いすでの生活のようでした。
突然のガンに襲われ一番悔しい思いだったのはご本人だったはずです。一体どんなガンに侵されていたのでしょうか・・・。
フラッシュによると山本KID徳郁さんの病気が発覚したのは、2年前でした。
山本KID徳郁さんのガンですが、癌のステージや、病気の症状など詳しい情報は公表されてなかったようですが、消化器系のガンだと言われています。
消化器系のガンと言えばやはり、胃がん、大腸がんとかになるのかもしれませんね・・・。
「消化器系のガン治療のため、グアムの病院で闘病生活を送っている。本人はふらついて、歩けないほどだ。日本を離れ、グアムで治療しているのは、周囲の目を気にしてのことだという」
「家族、姉妹も看病のためグアムに行っています。彼は現地に友人も多く、周囲の力強いサポートで、闘病生活を送っています」
(出典:フラッシュ)
2年前から闘病生活を送られていたんですね・・・。最近、公表してました。それから、間もなく本日、悲しい知らせが届いてしまいました。
そんな山本KID徳郁さんにはお嫁さんやお子さんもいらっしゃったようです。
山本KID徳郁の家族は?
山本KID徳郁さんのお嫁さんの名前はゆいさんという方らしいです。一般の方で経歴や生い立ちなどの情報は分かりません。
とてもきれいな方ですね。お子さんも可愛いですね。
ちなみに山本KID徳郁さんの元お嫁さんは、元モデルのMAILAさんでした。つい先日、4度目の結婚をされて、4度目の出産をされたことで話題になった方でした。
また、山本KID徳郁さんのご家族は、有名なスポーツエリート一家です。
お父親様は、レスリングのミュンヘン五輪代表だった山本郁榮氏、お姉さんは、美人格闘家として有名な山本美憂さん、妹さんはレスリング選手でダルビッシュ有の妻である山本聖子さんです。
スポーツで活躍された人ばかりですね。そして、お嫁さんが美人な方ばかりですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本日お亡くなりになった山本KID徳郁さんが何のガンなのか調べてみましたが、はっきりとした病名はまだ発表されていませんでした。
情報が公開され次第追記したいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
<追記>
格闘技イベント「RIZIN」の榊原信行実行委員長が19日放送のフジテレビ系「ノンストップ!」(月~金曜・前9時50分)に出演し、18日に41歳で亡くなったレスリングや総合格闘技で活躍したプロ格闘家の山本KID徳郁(本名・岡部徳郁=おかべ・のりふみ)さんの闘病生活を明かした。
榊原氏は、山本さんの父で1972年ミュンヘン五輪レスリング代表の郁栄(いくえい)氏(73)の許可を得た上でインタビューに応じ、「最初に胃がんが見つかったのは、2年以上前のタイミングだったと思います」と明かし「ボクが聞いている範囲だと抗がん剤治療も何度かしましたし、その間、治療してくるよっていうことは周りに言わずに東京都内とかで治療を受けると目立ってしまうので地方に行って治療をしていた」と振り返った。
病状は「年明けてからかなり病状が悪くなって、2月ぐらいだと思うんですけど、その後、最終的な治療の場所としてグアムに末期がんの人達の治療ですごくいい病院があるっていうことのようで、そこに治療の場を選んで。病院とグアムの中の自宅を行き来していて、その時の移動も車いすでの移動になったと聞いています」と明かした。
参考:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180919-00000071-sph-fight
山本KID徳郁さんの病名は「胃がん」ということが判明しました。