お笑いタレントの井手らっきょ(57)さんが出演した29日放送のフジテレビ系「良かれと思って!」(水曜・後10時)で、娘・ひとみさんの結婚式の際、裸にタキシードの上着を着て、ビキニパンツと前隠しに獅子舞を付けたスタイルでバージンロードを歩いたことを、マネジャーから密告されました。
マネジャーは、さらに「いくら芸人でも、相手の親御さんや式場に失礼だと思います」とコメントしました。
これに対して井手らっきょさんは「娘からのお願いだった」と明かし、「娘からは教会の許しは得ていると言われました。神父さんも『ワンダフル』と喜んでいた」と話しました。
そんな井出らっきょさんは芸人としてではなく実業家としての功績もあるようで、調べてみました。
井出らっきょプロフィール
目次
- 本名:井出 博士(いで ひろし)
- 生年月日:1959年12月11日(57歳)
- 出身地:熊本県熊本市
- 血液型:AB型
- 身長:165cm
- 最終学歴:久留米大学商学部中退
- 師匠:ビートたけし
- グループ名:たけし軍団
- 芸風:ものまね、裸芸
- 事務所:オフィス北野
井出らっきょ略歴
熊本県立第二高等学校に通い、久留米大学商学部に進み、中退。特技は短距離走、ダーツ。
西城秀樹の「傷だらけのローラ」の真似をしたのがものまねを始めたきっかけ。学生時代、西城や水谷豊などのものまねで、素人ものまね番組の常連となったことで注目され、太田プロダクションよりデビュー。またフジテレビ系『笑っていいとも!』の初期のレギュラーにもなった。
その後脱毛症となるが、カツラを常用するようになりつつ芸能活動を続ける中、たけし軍団の草野球に参加中ビートたけしに軍団入りを打診され、その際に思い切って頭髪を剃る事を提案された。たけし軍団入り以降はすぐに裸になる裸芸を持ちネタとした。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%89%8B%E3%82%89%E3%81%A3%E3%81%8D%E3%82%87
井出らっきょの野球塾とは
1980年代芸能界、お笑い界を席巻していたと言えばたけし軍団です。その中でもひときわ目を引いていたのが井出らっきょさんではないでしょうか?スキンヘッドが特徴で、スポーツ万能だった印象が今でも残っています。
当時はたけし軍団の人気もすごくて、テレビをつけたらたけし軍団の誰かは必ずテレビに出演されていたような記憶があります。風雲たけし城、スーパージョッキー、お笑いウルトラクイズなど、当時はたけしさんが中心になったお笑い番組も多かったもんです。2000年代に入ると井手らっきょさんの姿をテレビで見ることは以前よりも減っていきました。
マネーの虎
2015年に井出らっきょさんは「マネーの虎」に出演されました。
小学校から中学校の子供たちを中心とした野球塾を設立したいというプレゼンでした。指導者には元プロ野球選手を講師として迎え、野球少年達に正しい野球の知識を教える場所、また、野球を楽しむ場所を提供したいということでした。
また、元野球選手の秦真司さんも助っ人で登場し、実際に子供たちにどういう野球の教育をするのかという内容をプレゼンすると共に、井出らっきょさんの人柄をフォローしていました。そのお陰もあり、見事に出資がが決まり実際に野球塾を井出らっきょさんは作られたんですよ。
その野球塾の名前がプロフェッショナルベースボールアカデミーです。
井出らっきょの野球塾プロフェッショナルベースボールアカデミー
井手自ら、かつて放送されていた日テレの番組『マネーの虎』に出演し、プロ野球OBを講師に迎えて将来の野球界を担う人材を育成する少年少女を対象とした専門学校を設立したいとプレゼンを行った。堀之内九一郎から批判されたものの、小林敬、高橋がなり、岩井良明の各社長から都合2270万円の資金を獲得し、それを元手に有限会社裸裸裸(ららら)を設立、井手が代表取締役社長に、秦真司、浅井裕詞が取締役に就任した。
当初は神奈川県に設置する予定だったが、建築基準法などの関係で建設できなかったため、井手の故郷である熊本県熊本市に場所を移して開校。地元を中心にした小・中学生の野球競技者が入学した。開校時は今井譲二(元広島)、御船英之(元ダイエー → 広島 → 近鉄)が指導者として所属(今井・御船ともに熊本県出身)。また名誉顧問として古葉竹識(元広島・大洋監督)、アドバイザーとして松永浩美(元阪急・オリックス → 阪神 → ダイエー)が就いている。屋内練習所は東京ドームなどで採用されている新型人工芝・フィールドターフを採用している。
時期は不明だが、井手は既にプロフェッショナル・ベースボール・アカデミーの運営からは手を引いた模様で、現在は有限会社西日本物流サービスが運営会社となっている(ホームページでも井手のコメントは削除されている)。2016年時点でのコーチは、松崎秀昭(元南海〜ダイエー)、右田一彦(元大洋、ロッテ)・右田雅彦(元南海〜ダイエー、阪神)兄弟、三輪龍治の4名。
2008年には同校に所属した猪本健太郎がドラフト会議(育成選手ドラフト)で福岡ソフトバンクホークスから3巡目に指名され、初のプロ野球選手となった。
2010年、同校出身の高野一哉がロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。
プロフェッショナルベースボールアカデミーとは
野球塾「PBA」の設立
井出らっきょさんの野球塾のプロフェッショナルベースボールアカデミーを略してPBAですが、設立にあたり公式ページで井出らっきょさんが校長としての思いをつづっています。
好きな野球をもっともっとやって、
プロ野球選手を目指そう!
キミの夢は、僕の夢でもある!
少年時代、プロ野球選手になりたくて毎日毎日どろんこになって野球に明け暮れていました。野原で球を追いかける・・・これが野球の原点だと思います。しかし、今では野球のできる空き地もなくなりました。小学校や中学校の野球部もなくなり始め、クラブチームでの活動に変わりつつあります。場所も指導者も減り、子供たちの野球のできる環境が減少してきました。
子供たちは、もっともっと野球がやりたいんです。うまくなりたいんです。そんな子供たちに対する想いから、PBAを設立いたしました。
また、PBAはプロ野球OBの方々の講師としての活躍の場でもあると考えております。これから全国展開していく中で、全国に散らばるプロ野球OBの方々のお力をお借りしてたくさんの子供達に野球を教えて行きたいと思います。そして将来、このPBAからプロ野球選手が誕生してくれる事、それが僕の「夢」です。いや「究極の夢」は、PBAからプロ野球選手になったその子が、OBになった時にPBAに帰ってきて次世代の子供達に野球を教えてくれることです。(ずっと先の話ですが・・)
最後に全国の野球少年達へ・・・たくさん野球をやってもっと野球を好きになりましょう!皆んなの夢は、僕の夢でもあります。
PBA校長 井手らっきょ(2005年5月29日)

野球塾「PBA」の実績
2005年に野球塾を開校して当時はいろいろ話題にもなっていました。ただ最近のプロフェッショナルベースボールアカデミーってどうなっているのでしょうか?
今でも野球塾のプロフェッショナルベースボールアカデミーは熊本県で運営を続けられています。現在、ロッテで活躍されている猪本健太郎選手はPBA出身で2008年にドラフト会議で福岡ソフトバンクより育成選手ドラフトで指名されています。また、2010年には、PBA出身の高野一哉選手がロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶなど、それなりに実績もあげられています。
ただ、現在は井出らっきょさんは運営からは手を引かれているようです。また、もともと野球塾を設立されようとしたきっかけは、息子さんである現在ラッパーのROOKさんをプロ野球選手にしたかったということで前述の番組でマネージャーから告発されていました。そういう理由もあったんですね。それにしても、井出らっきょさんの野球への思い、また、プロ野球選手など交友関係の広さに驚きました。沢山の球界の方が井出らっきょさんの野球塾に賛同されていたようですね。ひとえに井出らっきょさんのお人柄ではないでしょうか。
参考:http://softondemand.sakura.ne.jp/baseball/news/index.html
まとめ
いかがでしたでしょうか?
2005年に野球塾を熊本県に設立された井出らっきょさん。現在は経営からは撤退されているようですが、もう12年も継続されており、実際に実力のある選手も輩出されているのはすごいなぁと思いました。
また、スポーツ万能の井出らっきょさんは、趣味がダーツで腕前はセミプロ級ですが、2012年にダーツバー「らっきょの小部屋」をオープンされています。仕事がない日は店にいらっしゃるそうなんです。相変わらずご活躍されていました。今後のご活躍にも期待したいと思います。